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太平洋戦争〜小林よしのり戦争論第三章について(否定派20060628)【改訂版】
category: 漫画 | author: aliensegg
はじめに、『戦争は悪ではなく政策である』という主張について。
確かに、この戦争を決行するという決定をくだした者の意識としては“政策”としての“戦争”という選択であったんだと思う。経済的においつめられ、日本人の誇りを傷つけられ、きっと当時の彼らは他の選択肢を思いつくことができず、戦争へとつっこんで行ったのであろう。
そもそも政策とは何なのか。政策とは、ある出来事を解決するため、処理するためにとられる政治的対処法である。ということは、政策を掲げるからには問題があり、またその原因があり、それらを全て解決し目指す世界、目的があるはずだ。
物事が単発で存在することはまず有り得ない。全ては流れの中に存在している。その対象には必ず過去があり、今があり、そして緩やかに未来へと進んで行くのだ。よって政策も流れの中に存在し、点であることは有り得ない。
たとえば9.11を発端とするイラク戦争について。現在もまだ続いており、今度はイランの核疑惑が声高に叫ばれるようになってきている。ではそもそもの原因は9.11なのであろうか。9.11にも更に根深い原因がある。それは中東問題である。1948年 ユダヤ人がアメリカの支援を受けパレスチナに一方的にイスラエルの建国を宣言し、100万人以上のアラブ人が追放されたことを発端とする第一次中東戦争。中東問題の起源をさぐれば紀元前までさかのぼってしまうのでここでは省く。その後何度中東戦争を重ねても勝てないアラブ陣営は、イスラエルのバックにはアメリカがいるから勝てないのだということに気付き、とうとう9.11でアメリカへの直接攻撃に出た。そこでアメリカは対テロ政策を掲げアフガン戦争、イラク戦争を始めたのだ。正義は本当にアメリカなのだろうか。9.11は本当にテロなのだろうか。また、イラク戦争、湾岸戦争、イランイラク戦争、全てにおいてアメリカの目的は石油利権であるという声が大きい。・・・確かに政策である。自国の利権のために戦争をする。自国の利権のために戦争の種をまく。政策を決定する政府上層部のものに命の危険はなく勝てば利権だけ手に入る。たくさんの民間人の命が奪われ、心にも深い傷が残る。こんなものを本当に政策として認めてしまって良いのだろうか。アメリカだけではない。近代のほとんどの紛争、戦争は全てが大国の利権のために仕組まれ、実行されていったものである。インド・パキスタン、中東、などでもめているのは、本当に宗教の違いが原因なのだろうか。
次に、『自存自衛のため』という主張について。太平洋戦争の目的はなんだったのか。小林よしのり氏は作中で、経済封鎖や石油禁輸で追い詰められた日本が、欧米白人帝国主義者の奴隷状態から脱け出すため、アメリカ帝国主義やソ連・支那の共産勢力から日本を守るためであったと主張している。この目的については、同じフィールドで戦おうとしたことがそもそもの間違いである気がする。経済封鎖、石油禁輸されたときに自国の力のみで立て直したり、他の諸外国とのやりとりができないことが問題であるし、また、“欧米白人帝国主義者”“黄色人種”とこちらまで過敏に反応することは差別を認めることになる。日本は開国後欧米諸国に追いつけ追い越せと近代化をはかったが、それは欧米化を目指しただけであり、近代化ではなかった。欧米諸国の進んだ技術や思想を取り入れ、まねをした。そこで、価値判断の基準まで欧米諸国と同じものにしてしまったのだ。確かに欧米諸国は経済的にも大変進んでいる。産業革命も経ているし、日本とは規模が比較できない。しかし、そんな同じ価値判断の基準にしてしまうことが、自らを卑屈にし、“欧米白人帝国主義”なんて概念を生み出すのだ。ヨーロッパはあらゆる民族が存在し、たくさんの価値観も存在した。そして、その中で刺激を与え合いつつ発展し、広範囲で経済の発展もしていった。しかし、日本は一国家一民族、そんな多様な価値観は存在しなかった。それが悪いといっているので
はない。そうではなくて、それなりの良さもたくさんあるはずなのだ。諸外国に依存しきらなくても、これまで立派にやってきたではないか。それを同じフィールドに立つことのみを意識して大事な文化や伝統を失いつつあるのが現状なのではないか。これは戦争の問題なのだが、それをほりさげていくと原因は全く別のところにあり、欧米諸国に武力で向かっていくなんてけんとう違いもいいところのように感じられる。
最後に、『功績をきちんと評価すべきだ』という主張について。彼の主張する功績とは何か。読んでピックアップしてみると、具体的に書かれているのはふたつだけである。ひとつめは、アジアの独立運動を高め、アジアから欧米侵略軍を追い払ったということ。ふたつめは、愛と勇気が試され、自己犠牲の感動が生まれ、誇りの尊さを思い知らせてくれたということである。確かに戦争による功績も皆無ではない。この戦争がなければ戦争は悲惨であるという実感…推測ではなく事実としての戦争という現実もわからなかったし、戦争による経済的成長、新たな論点の形成、平和への意識の高揚などもなく、現在の世界はなかったといえる。しかし、彼の主張する死によって証明される愛や勇気、自己犠牲の感情、誇りの尊さなどはそれだけを讃えていてはなにも生み出さないのだ。死を美化し、賛美することは、先に述べたような直接死に局面しないものの利権にしかつながらない。また、独立国が増えたことについても、第二次大戦後の冷戦の中で、直接の植民地支配から、独立支援をすることによる影ながらの支配へと支配形式をかえ、結局バックには大国がいるという図式は消えきらなかったという現実もある(ex.IBRD)。功績は皆無ではないにしろ、彼の主張する功績はどちらも功績として認識するにすら至らないのである。
結論としては、すんでしまったことは仕方がないし、今更過去は変えられない。それにその過去の上に今は成り立っている。その過去の精一杯の選択による結果を功績にできるかどうかはその処理次第である。未来は私たちにかかっているのだ。『死をかけて祖国のために戦い子孫に多様なメッセージを残した祖父たちの功績を讃えることをまずしたい』という小林よしのり氏の主張は、それこそが最も彼らの死を無駄にすることである。『功績を讃える』それも彼の主張する功績を讃えることがどう未来へとつながるのであろうか。
『讃える』それだけのことの先には何もない。過去の出来事の過ちを叫ぶものを否定し、素晴らしかった、正しいことをした、よくやったと賛美し正当化する。そこには後悔も反省もない。過去も現在も未来の流れもないただ一点をくりぬいて正当化し、気分よくなっているだけである。彼のことばを借りれば、そんな姿こそ他方向からの声を聞くことのできない『耳をふさいでおびえるバカ猿』以外のなにものでもないのだ。たくさんの日本人、いや、国家など超えたたくさんの人間が必死に生きたこと、必死に死んだこと、そこから少しでも多くのことを学び未来を模索し、流れの中においてみて初めて太平洋戦争も功績にすることができるのである。『生きていくこと』は点ではなく流れなのだ。
以上のことから、私は「戦争は悪ではなく政策である。大東亜戦争(太平洋戦争)も自存自衛のための政策として行われたのであり、その肯定面や功績をきちんと評価すべきだ。」
という論を否定する。
私たちにはこのようなものを政策として認めず、未来を築く責任がある。
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